本『ミャンマー西門の難題 ー“ロヒンギャ”がミャンマーに突きつけるものー』キンニュン,千葉大学研究グループ 著 恵雅堂出版株式会社

今まで西洋諸国のメディアが流す情報しか知らなかったので、この本を読んでミャンマー側の主張を聞いてみるとその内容に一理あるなと感じた。

やはり一方向からの情報だと偏るなと改めて感じた。

以下に重要だと思ったところの引用を載せていく。

ラカイン州に様々な方法で侵入してきたベンガル人たちは、独立直後から、ロヒンギャという呼称を利用してイスラム教徒の州を作ろうと模索していた。自分たちの州を得たのちにミャンマーから分離、さらにジハードという戦闘を展開し、ラカイン州だけでなくミャンマー全体をイスラム教国にしようとしていたのである。まさにミャンマー国民全員が注意を払わなければならない状況であった。  私たちミャンマー国民は、世界で昔起こった出来事をもう一度学ばなければならない。マレーシア、インドネシア、アフガニスタンは昔、いずれも仏教国であったが、現在はイスラム教国になってしまっている。
元々ほぼ仏教徒しかいなかったミャンマーに他所から入ってきたのがイスラム系移民。
マウンドー人口に占めるベンガル人の割合は、1903年に約20% だったが、2003年には98% という驚くべき数字となっている。
この100年の間に急速に増えている事が客観的にわかる。
ミャンマーとバングラデシュの間で起きているこの問題について考えたとき、ミャンマーには昔、ロヒンギャもイスラム教徒も存在しなかったという結論に至る。  彼らは、イギリス植民地時代から侵入してくるようになった。独立後は、イスラム教徒の政党が勝利するために呼び寄せられ、賄賂を払って国民登録証を取得した。その結果、ベンガル人の州を要求するまでになってしまったのである。
2003年には、日本を拠点とする在日ビルマロヒンギャ協会のゾーミントゥン氏が『ミャンマー連邦と先住民族ロヒンギャ』という本を出版している。これもまた、ロヒンギャを一つの民族として認めさせようとする策略である。
“ロヒンギャ”と分類されている人々は、イギリス植民地時代に連れてこられた人々、建国後に侵入してきた人々、ミャンマーで生まれたそれらの子孫、の3つが含まれていることになる。
アラカン王国(ミャウウー朝1430年−1785年)時代にやってきたムスリム、英領化されたラカインに1826〜1841年頃の間に流入してきたベンガル系移民、そして上記のバングラデシュ独立戦争に結び付くインド・パキスタンの独立と分離に連なる第二次世界大戦の混乱期に流入したベンガル系移民があり、“ロヒンギャ”と自称する集団の歴史的形成過程がある。
ロヒンギャの歴史にも大きく分けて3つの時代がある。
本来バングラデシュ独立戦争の難民として扱われなければならない“ロヒンギャ”の多数と思われる人々、第二次世界大戦を経たインド・パキスタン独立/分離の混乱期にミャンマーに定住するようになったベンガル系移民、英国植民地支配の影響で移民してきたベンガル系の人々までもが、一部の民族主義的政治的扇動者のために、より人道的危機に追いやられているのが現状であると言えよう。
いわゆるロヒンギャと言ってもその背景に背負ったファミリーヒストリーに違いがあるという事。
特にマスコミは視聴者・読者を意識する故か、現在ある人道危機そのものやミャンマー側の国家顧問であるアウンサンスーチー女史やミャンマー国軍を悪とした勧善懲悪のストーリーを好み、人道危機の真相を歴史的なところまで捉えた包括的な報道に意欲を見せない。それが本件の解決を一層難しくしていると考えられる。
自分もあのノーベル平和賞をとったアウン・サン・スー・チー氏がこの問題に対しては何故動かないのかと思っていたけど、本書を読んでちゃんと理由があったという事が分かった。

ミャンマー西門の難題: “ロヒンギャ”がミャンマーに突きつけるもの

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